「見ザル 言わザル 聞かザル」
ここの所の組合活動で至った結論である。

基本的に我が工場の組合と言うものは
「会社の意思を従業員に伝える」
「問題が起こったら穏便に理解して貰う」
と言うのが存在意義であるようだ。

経営説明会で社長に対峙した時に社長から直々に
「従業員の仕事が増えすぎたり、業務が上手く回っていない所は無いか?」と言われても
「当工場は風通しも良く、上司にも理解があって問題は一つもない」なんて事をいけしゃぁしゃぁと言うのだ。

前に書いたとも思うが、精神的に病気になっているヤツが表ざたになってるだけで5人も居るのだ(100人居ない工場なのに)。
折角社長が理解してくれようとしているのにイイカッコしいでどうするのだろうか?

そんな考えの連中に職場の不満を理解させようとしても無駄らしい。理解させようとした所で、タダの不満の多い人という認識をされて失笑を買うだけなのである。この会社が長年培って来た「寄らば大樹」「他人任せ」という風土の結晶であると思われ、たった一人の人間が騒いだ所で何も変わらないのだ。

頼れるものなど何も無い、理解をしてくれる人も居ない。

ただ、決定されることに廃人のように頷くだけの人間が求められているのだ。
そんな工場には明るい未来なんてモノは無いよな、どう考えても。

あとどのくらい俺は持つのか?そろそろ本格的にヤバイ状態である。

コメント

ケスイダ
ケスイダ
2006年3月8日23:22

5人はヘビーですね
僕は以前
職場に組合を作る動きがあったときに
「会社の意思を従業員に伝える」
という存在になり逆にやっかいだと
組合を作るのをやめさせたことがあります

折角の組合も
中枢を担う方が
存在意義を理解してないなんて
残念ですね

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