何気に「と、ある日」
2005年10月4日山手線に乗っていたら3人組の小学生(?)が椅子に座っていた。で、その小学生の前に荷物を持ったお婆さんが目の前立ったら席を譲っていた。
で、その小学生は譲った次の駅で降りた訳だが、友人同士に
小学生A「次の駅で降りるからでしょ?」
小学生B「どうせ一駅だからでしょ〜」
なんて言われていた。
そこでちょっと考えてみたいのだが・・
どうせ一駅だからこそ譲れる優しさがあるところが良いんじゃないか。
普通の大人なら
「俺がやらなくても誰かが譲るだろ」
「後一駅くらいなんだから我慢しな」
「どうせ同じ料金払ってるんだから平等だ」
なんて言いながら一駅分の手間すら惜しむだろう。
また、人に席を譲るなんて事をする大人なんて逆に浮いてしまい(下心があるんじゃないか?と思われ)気まずい空気が流れるのが悲しい現実である。
椅子を譲れるような優しさを持っているような子供が、この日本にまだ居る現実が非常に嬉しかった。
またそういう子供を育てている親にも敬意を表したい。
で、その小学生は譲った次の駅で降りた訳だが、友人同士に
小学生A「次の駅で降りるからでしょ?」
小学生B「どうせ一駅だからでしょ〜」
なんて言われていた。
そこでちょっと考えてみたいのだが・・
どうせ一駅だからこそ譲れる優しさがあるところが良いんじゃないか。
普通の大人なら
「俺がやらなくても誰かが譲るだろ」
「後一駅くらいなんだから我慢しな」
「どうせ同じ料金払ってるんだから平等だ」
なんて言いながら一駅分の手間すら惜しむだろう。
また、人に席を譲るなんて事をする大人なんて逆に浮いてしまい(下心があるんじゃないか?と思われ)気まずい空気が流れるのが悲しい現実である。
椅子を譲れるような優しさを持っているような子供が、この日本にまだ居る現実が非常に嬉しかった。
またそういう子供を育てている親にも敬意を表したい。
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